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昭和清純派スター・若山セツ子 悲劇の生涯

2026年07月25日 13:00
昭和清純派スター・若山セツ子 悲劇の生涯

昭和60年5月、かつて東宝の清純派スターとして一世を風靡した若山セツ子は、55歳で精神科病院の一室で孤独な死を遂げた。

痩せ細り、歯はほとんどなく、実年齢よりはるかに老けた姿だった。

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検視した警部補はカルテの生年月日を疑い、看護師に確認したほどだ。

彼女に何があったのか。

昭和4年6月、東京・中目黒で生まれたセツ子は、控えめで忍耐強い性格だった。

父親は銭湯を営み、組合の役員を務める行動派。

母似のセツ子は、姉のすすめで東宝第一期ニューフェイスに応募。

約4000人の応募者から48人の一人に選ばれ、昭和22年に映画デビュー。

『四つの恋の物語』で主要役を務め、『銀嶺の果て』で注目され、『おスミの持参金』で新人賞を受賞。

昭和24年、『青い山脈』で演じた丸眼鏡の女学生は主演を超える人気。

「私はこの役を生きる」と彼女は語り、演技に没頭した。

ところが、その年の10月、彼女は突然、監督・谷口千吉と電撃結婚する。

谷口は離婚歴があり、36歳。セツ子は20歳。

周囲は慎重を促したが、彼女は「谷口先生には自分が必要だ。私は先生の奥さんになる」と一点張りだった。

結婚後、親友に夫を紹介した時は幸せそうだった。

しかし、6年半後の昭和31年、離婚。

表向きは性格の不一致だったが、真実は谷口の浮気。

まっすぐなセツ子には許せなかった。

「もう二度と、あの人を信じない」と彼女は親友に打ち明けたという。

離婚後、仕事一本で再起を図るが、良い役は来ない。

さらに元夫の再々婚が大きく報じられた。

昭和35年、東宝との専属契約が終了。翌年、芸能界から姿を消した。

その頃から、親友は異変を感じていた。

「私の横に誰かがいて、私たちの会話を聞いている」と彼女は言い、視線は遠くを見つめていた。

その後、姉の家の2階に身を寄せ、精神科に短期入院。

退院後、母と暮らしていたが、昭和46年、女性週刊誌が『元女優・若山セツ子を捜せ!』と特集。

それを見たプロダクション社長・織井美行が復帰を熱心に勧めた。

「もう一度、舞台に立ちたい」とセツ子は喜んだ。

しかし、復帰から1年後、再び異変が。

京都の撮影中、スタッフの呼びかけに反応せず、1人で呪文を唱え、深夜に裸で歩く奇行。

「もう一緒に撮影できない」とスタッフは半ば強制的に彼女を病院へ。

それでも彼女は病院の演芸会で同室の患者に演技指導をし、練習を続けた。

「演技があれば、私は生きていける」と彼女は言った。

昭和53年、姉の家の2階で母と暮らすが、姉と母が相次いで死去。

ショックで症状は悪化。

深夜に遠くまで響く歌声、裸足で友人の家を訪ねる、時代劇の口調で電話をかける。

タバコの不始末でボヤを起こし、保健師に説得されて入院。

その1ヶ月後、セツ子は病室で首を吊っていた。

55歳、骨と皮だけの姿で。

かつてスクリーンで輝いた可憐なスターは、誰にも看取られず、静かに幕を閉じた。

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